言葉がコロコロ変わるから

私の書いた文章を久しぶりに読むと、言葉の変化に驚くことがある。例えば、一人称。昔は、「おれ」だったのに対して、今は「私」(今は昔みたいですね)。昔は断定形ばかりだったのに、ある特定の時期になると、「思う」だとか、「たぶん」だとかが増えてくる。言葉は図らずして、私の心を語っているのだ。

同じように、昔、流行った言葉を見ると、時代の変化に驚くことがある。毎年発表される流行語大賞をずーと遡ってみると、今では古いやら、おじさんくさいだのと、言われる言葉が、流行語として載っている。私がよく喋っていた言葉も今では全くもって意味がちがう。言葉は変わる。そこに時代の流れを感じることさえもできるのだ。

 

私たちは、言葉がコロコロ変わるから、昔の本を正しく読めない。言葉がコロコロ変わるから、古文を勉強しなければならない。言葉がコロコロ変わるから、みんなみんな変わっていく。それは悲しいことではなくて、いろんな言葉にビンテージ品のように、重厚な香りがついていくということだ。私の言葉が、コロコロ変わりますように。