詩「ちょうちょ」
「ちょうちょ」
張り詰めた空気が、布団の中に入らないように、ずっと閉じこもっていた。そして、もう真っ暗ではなくなって、少し白ばんだ視界に、体が震えていた。布団を強く握りしめる。でも、喉が渇いた。
顔を恐る恐る覗かせると、誰もいないワンルームは、窓から灰色の光が差し込んでいた。張り詰めた嫌な空気が肌を刺して、心臓を刺して、
冷たい水を喉に流し込む。まだ、朝は早いけど、どうせ一瞬で過ぎてしまう。心臓が早くなる。私の青白い肌が、目の下の隈が、涙の跡が、
冷たい風が吹いて、真っ白な蝶々が私の部屋に迷い込んできた。そして、私の周りをクルクルとフワフワと、美しく回ると、白い鱗粉をポロポロと、溢して、またくるくるふわふわぽろぽろと、。しろいちょうちょはじかんをわすれて、くるくるふわふわぽろぽろと、。はねを、ゆったりゆったり、。
なんとなく、わたしはかわいそうになってにがしてあげようとおもった。ちょうどわたしのしろいはだにとまったちょうちょを、おこさないようにゆっくりとまどのほうへ、。まどをあけてやさしくいきをふくようにはなった。
きょうはずっとねていよう。じゅんすいむくなしろいりんぷんをまとって、ねむろうかな、。
私は何がしたいのだろうか。
人の心に寄り添うために
笑うことは共感することだ。僕らのあらゆる苦悩も笑ってくれる仲間がいれば 吹き飛ぶ。笑ってくれれば、それだけで僕らは救われる。僕らに重くのしかかるいろんなものも、支え合ったら軽くなる。笑うことは、共感を示すことは、僕らの生活と密接に関係していて、僕らの幸福とも密接に関係している。
共感を示す。人の心に寄り添うために、笑う、泣く。辛いことも悲しいことも笑い話になったらいいな。それだけで、僕らの荷物は軽くなる。支え合える。明日も、生きていける。
選ばれているためには
選ばれているためには、走り続けないといけない。置いていかれないために、追いつくために、走り続けなければいけない。少しでも止まったら、すぐに追い越されてしまう。毎日誰かの誕生日。私は後ろから迫ってくる何かから、逃げるように走らなければならない。足が悲鳴を上げようと、心がどれだけ止めようと、走り続けなければならない。今年も私より若い人が飛び去っていく。早く飛び立たなければ、早く選ばれなければ。時間はただただ、過ぎていく。
間違えることが怖い
間違えることが怖くて、何も信じられなくなった。何も信じなかったら、いつのまにか自分を否定するようになった。人は嘘ばっかり言うし、人生は無意味だし、幸福はハリボテだ。何もかも信じなければ、間違うことはない。一度でも間違えばおしまいだ。信じれるものは何もない。信じてはいけないものが多すぎる。みんな悪意を持っている。何か一つで愚痴って仕舞えば、弱音を握られたも同然だ。私は何も話さない。口を閉ざして、苦しみを閉じ込めて、自分を殺して、生きていくほかない。そしたら、何も間違えない。怯える必要もない。
ただ、幸福ではない。
いつだって信じる以外に術を持たない僕ら
時折、色々なことが信じれなくなります。例えば、友達。もしかしたら、嫌われているのではないか。もしかしたら、無視されているのではないか。信じることができなくて、不安になります。
私たちはいつだって信じる以外に術を持ちません。あらゆることは暗黙の了解で済まされているので、本当のことを確かめる術を持たないので、信じるほかないのです。友人関係もその一つで、友人であるというのは暗黙の了解で決められて、それが本当に友達かどうかは確かめる術を持ちません。私たちは都合のいいことを信じなければ不幸になってしまいます。だから、それが間違っていても私たちは私たちの幸福のために信じるのです。そのため、私は友達のことを信じるほかありません。
何もかも信じれなくなったら、もうどうしようもない気がします。信じることをやめてはいけないけれど、信じることは裏切られる可能性を秘めています。私たちの耳や目は絶えず働いていて、知覚することをやめようとはしません。都合の悪い話を聞かないで、見ないでくれれば、私たちは信じるだけいいのに。
日曜の昼間
日曜の昼間の優しい光が大好きです。
窓辺でぼっーと照らされていたいです。
一週間に溜まった雨水を乾かしてくれるような気がして、月曜日に優しく送り出してくれるような気がして、光を浴びるたびにお日様にちゃんと挨拶しないとな、と思います。
洋服と一緒に天日干しするような感じで、自分を洗濯しています。私が元気に過ごすためには、お日様が必要です。