努力とかいう才能

私は小さい頃から努力ができない人でした。夏が来るたびに三日分だけ押されたラジオ体操のスタンプカードが増えていく。そんな私なので、努力できる人が羨ましくもあり、こんな見出しで文章を書き始めたのです。

実際、努力は才能だと思います。何も起こらなければ、私はいつまで経っても、努力しないでしょう。ならば、努力を環境や機会だといっても、結局は運です。そういった運を、私は才能と呼んでいるのだから、努力は才能なのです。

私は別にそこまで努力が才能であることを憎んでいません。ただ、努力をすれば褒められるということが憎いのです。こういっている私だって、努力をする人を見ればすごいと褒めてしまいます。それが、本当に憎いのです。だから、それを才能だなんていって、蔑もうとしているのです。私も努力ができたらいいのになぁ。